• マイセン動物園展

    マイセン好きとは言っても染付の方が好きだし、動物の成形がメインの展示は楽しめるか不安もあったのですが……杞憂でした! というのも動物の生態が生き生きと描写されてまして。ああこの動物こういう動きするよねー、とか。こういうポーズよく見る!とか。 「動物園展」という名前そのまま、まさに動物園を見ているかのようでした。 まずは比較的よく見るタイプの作品(甕とか)から始まり、最初の目玉がシャンデリア!(写真1枚目参照) 下の方にぶら下がってる花の塊、ちょっといい値段の造花と同じくらい綺麗に見えるんですが、磁器なんですよね……。 床の振動で微かに揺れるのもシャンデリアらしくて良かったです。 次は装飾付きの花瓶とかが並びます。具体的には写真2枚目をご覧ください。これは正面にいるコガネムシっぽい甲虫が好きで撮りました。 あとはスノーボールに小鳥が止まっているものとか。中には小鳥がスノーボールのあの花びらを咥えているものもあって和みました。 その次は今回の展示のメインである、成形された動物たちの置物。これが大変種類がありまして……。犬だけでも犬種違いで複数ありましたし、猫はありとあらゆるポーズが作られてました。 写真3枚目のは「毛づくろいする子猫」です。これほんと生きてる猫の動作そのままで感動しました。 動物の種類も多岐にわたり、まさに動物園。覚えている限りでキリンやガゼル、白熊、ペンギン、などなど。 またこの辺で「釉下彩」という技法が紹介されていまして。釉薬の下に絵付けしたそうなんですが、これによって輪郭線がはっきりしないぼやけた表現になり、動物の毛並みを表すのにピッタリでした。前述のガゼルやキリンで特に有効活用されていたように思います。 なお釉下彩は関係ないのですが、このコーナーの1番のお気に入りが写真4枚目の蓋物「コイ」です。 このリアルさ最高。 これらの動物モティーフのために起こされたスケッチ等も挟みつつ、最後は炻器等、磁器以外の作品でした。 枚数制限があったので写真貼れてませんが、ここにあったカワウソの炻器(だったか、磁器作る前の鋳型用に作った粘土的なやつだったか……)が、手足が大変リアルでお気に入りでした。 総括すると、マイセン好き&動物好きには大変楽しめる展示でした。ありがとうございました。 (展示終わってからの投稿で申し訳ないです)

  • 染付 ― 世界に花咲く青のうつわ

    最近全然投稿してなかったので、少々古いやつから書かせてください。 今年の冬に出光美術館でやってたやつです。ざっくり言うと、中国の「青花」をメインに、それを取り巻く歴史を(だいたい)年代順に並べた展示でした。 当時のメモをもとにその順に沿って紹介してみたいと思います。 ・最初に青を使ったのは東欧~西アジア それが「色目人」(中国から見てもっと西の方の国の人たちをこう呼んでたそう)によって中国に入ってきて、焼き物技術の向上と共に青花が生まれたとのこと。確かにラピスラズリとかってトルコとかペルシャとかで使われてたイメージなのでこれには納得。 ・その後、中国が明とか清とか変わるに伴って、技術(陶芸よりは顔料の精製部分)に差がでてきた それでも過去の模倣を第一として、わざと古いのと同じように見せかけてましたという説明があり。確かに似せて作ってるのが見て取れて面白かったです。 ・その中国の技術が挑戦や日本に入ってきた そしてそれが日本国内でもどんどん洗練されていったということで、国内の作品が。主に鍋島でした。 ・最終的にそれはヨーロッパに渡って、あっちの人たちがまた新たに模倣した 個人的にマイセンが好きなもので、柿右衛門を真似て作ったシノワズリな器とかは確かに観たことあったので、「あれのことかー」となりました。 最後の東アジア→ヨーロッパの流れは把握してたのですが、それより更に前の流れは今回初めて観まして。ああ、文化は相互に影響しあって発展・洗練されていくんだな……と何やら感慨深かったです。(他の企画展で観た内容と知識が繋がっていくのって知的興奮が喚起されますね!) ちなみに1番好きだった作品は「青花龍涛文天球瓶」。 (多分こちらの画像と同じ品です→https://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/colle040.html) 背景の波の緻密さ&ダイナミックさは言わずもがなですし、この白抜きの龍、ちゃんと鱗も彫ってありまして。全体的に精巧で恰好良いのですが、肝心の龍の目(点睛)を見て頂きたく。 そんな荒々しく表現されてる龍の目にしては つぶら すぎません?!?! めっちゃ和みました笑

  • 『「創立者」の特別展にしてはもうちょっとと思ってしまった』国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展 (2019年6月11日~9月23日)

    松方幸次郎という人物がこの世に存在しなかったら、国立西洋美術館は世に生まれ出たとしても、コルビジェの設計にもならなかったろうし、全く違ったものになっていたと思う。 だから、今回の特別展は、特別展の中の特別展だった。 鑑賞も重要だったが、それとともに国立西洋美術館誕生史としての側面を持つ展覧会であったとも言える。その意味で、メモを書く。 出品点数に不満は無かった。しかし幾つか不満があった。一言で言えば、日本博やbeyond2020のための、急ごしらえ感を感じさせた展覧会。 (1)解説が不満。まず文字が小さい。小さすぎる。目の良い人でも、1メートル内外近づかないとダメ。それから位置。作品の流れの上流に付けてくれないと意味が無い。また普段展示されていたり、展示の多い、西洋美術館所蔵の展示の解説は少なくて良いから海外からの、もう二度と来ることはないような作品にこそ解説の労をして欲しかった。 (2)ライティングがダメ。作品を正面からは見ることの出来ないライティングがかなりあった。並べれば良いわけではない。直接手の届かないような高所に設置されている作品にガラスは不要だったはず(契約上なのかも知れないが)。 (3)何か心のこもって無さを感じた。ガラスネガが発見されたと言うが、博物館じゃないのだから、陽画にしてもらわないと、鑑賞は難しい。作品は流転をしての今の姿なのだから、その流転を辿ってもらいたかった。焼けてしまった作品リストが発見されたと言うが、ビデオではなく、コピーを展示して欲しかった。その方がその全貌のすごさが分かったはず。 今回驚いた点(=学んだ点)は二点あった。 (1)私事ながら良く塩原に行く。その道中にある千本松牧場、其れが松方幸次郎の父親の持ち物だったこと。作品収集にも少なからずの影響があったことと思う。 (2)松方コレクションのかなりが、日本の美術館に収蔵され、西洋美術館のみならず、幅広く日本に残っていること。 特に改めて感じたのは、1900年前後の限られた時期の美術シーンを松方コレクションは感じさせてくれるものだと言うことだった。 本当なら、国立西洋美術館は、松方幸次郎記念というような肩書きがあっても誰も文句を言わない美術館だろう。(今回写真はすべてパンフから。3番目はマティス:長椅子に座る女)

  • 『私のクリムトのイメージの破壊~何も分かっていなかった~』ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 (2019年4月24日~8月5日)

    国立新美術館の、「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」へ。 クリムトというと、つい先日東京都美術館の特別展「クリムト展」へ行ったばかりだ。 今回の展覧会は、ウィーン・ミュージアムの改修工事に伴い、同館の主要作品をまとめて公開することになったもの。東京展で約400点(大阪の国立国際美術館では約300点)が公開される。 全体が4章に分かれている(*1)。更に各省は細分化され、それぞれに名がつけられていて、まるで事典をひもとくような感じになっていた(ただ作品がそれに応じて展示されていないところもあって少し残念だった)。私たちは、クリムトとシーレの作品を見たい!の思いで、最初にそちらに赴いた。ちなみに、12時前後での入口付近の混雑はさほどなかったので、急がずとも結果的にはゆっくり鑑賞出来たと思われる。 ポスターは「エミーリエ・フレーゲの肖像」。この作品は、当該ウェブページの冒頭を飾ることからしても、ウィーン・ミュージアムを代表する作品の一つ。当日は写真撮影が可能だった。 私たちは、ここにほぼ4時間いた。正直に言えば、椅子に座ってうつらうつらしていたときもあるが、それでもこんなに展覧会場に長きにわたっていたことはおそらくはなかっただろう。それほどに今回の展覧会は規模も大きく、引きつけられる作品も多かった。 個人的には、二つの点が今回の大きな収穫だった。 第一は、クリムト。クリムトと言えば、金箔をあしらった作品がどうしても頭の中に浮かぶ。しかしどうして、若いころには、そのイメージとは随分とかけ離れた作品も描いていたと言うことだ。弟が早世しなかったら、クリムトはまた違った人生だったのかも知れない。 第二には、最後の写真で示した、ココシュカの「殺人者、女たちの希望」が衝撃的だった。というか、ココシュカを勉強しないといけないと思った。 ともかく、今回は作品点数も膨大で、しかも重要な作品も含まれていて、見応えのある展覧会だった。幸いにも鑑賞時の入場者はそう多くはなかったのに助けられたが、もっと多かったらぐったりとしてしまった展覧会だったことだろう。 *1 「啓蒙主義時代のウイーン」「ビーだ-マイア-時代のウイーン」「リンク通りとウイーン」「1900年-世紀末のウイーン」

  • 『一寸物足りなかった感じかな』クリムト展 (2019年3月26日~6月2日)

    私のクリムトの知識というと、接吻とウイーン分離派の旗手の一人というくらい。ウイーンに行ったが、「分離派会館」は城のような建物の上に載っかっている球体(月桂樹の葉で構成・・・通称「金のキャベツ」)をちらっと見ただけだった。まぁ、この時代(20年くらい前か)は今ほどに美術を見る気分でもなかったので、そのような一般的知識の中での存在でしかなかった。 ところが、今年はクリムトが沢山やってくる。その中でも、この展覧会は「過去最大級」を売りにしているので、東京都美術館の65歳以上無料開放日に出向いた。 展覧会の最初は、クリムトらの写真が並ぶ。自画像を制作しなかった?代替か。 最初に印象に残ったのは、姪ヘレーネのポートレート。6歳と言うが、顔立ちや胸の膨らみがその母への面影なのか、強調されている感じがした。(2番目の写真) さてクリムトと言えば、金。これが日本美術の影響だと、恥ずかしい話し始めて知った。 クリムト自身かなりの日本美術のコレクターだったらしい(証拠の写真もあった)。表紙はユディット1からだが、恍惚感はクラナッハのそれに通ずるものがある感じがした。 また接吻もそうだが、正方形に近いキャンバスを多用したのも、日本の屏風の影響を感じさせるとか。 東洋美術の影響を感じさせるというのが、3番絵の作品「オイゲニア・プリマフェージの肖像」。プリマフェージ夫妻はクリムトのパトロンであった人とのこと。晩年の作品。 最後は、分離派会館にかつて飾られ、ベートーベン・フリーズと名付けられた壁画の一部、 中央の壁「敵対する勢力」の部分。三人の女性は「淫欲・不貞・不節制」を表しているのだそう。この壁全体が今回レプリカで再現。感じとしては、会場の都合であろう、少し低い位置からの鑑賞。 さて、最後にこのクリムト展の感想。今回目玉の作品の来日を果たした点では、「最大級」なのだと思うけれど、クリムト作品の点数もそう多くはなく、少し物足り感じがしました。 なお今回の写真はすべてクリムト展のパンフレットから。

  • 『立体曼荼羅の世界にもう少し近づきたかった』国宝東寺~空海と仏像曼荼羅~ (2019年3月26日~6月2日)

    平成最後の日、東京国立博物館平成館に向かった。 平成から令和へ変わる祝賀行事関連で10連休になった今年のゴールデンウイーク中で、しかも日美直後で心配したが、混雑はしていたが、大混雑というものではなかった。 今回の特別展のタイトルは国宝東寺。東寺には81点の国宝があるという(日美)。タイトルは矛盾していない。 そして今回の目玉はやはり、立体曼荼羅。我々もルール違反かも知れないが、まずのその部屋(一番最後の展示室)に足を運んだ。 立体曼荼羅は、二次元の曼荼羅の世界を、三次元的に表して、より密教を庶民に分かりやすくしたものと言うことが出来るのだろう。しかしながら、それ故にその展示にいささか疑問が。大日如来が来なかったのは致し方のないこととは言え、東寺の実際の配置からはいささか配置を異にしていた。例えば五智如来。部屋の奥の長辺に大日如来の写真画像を中心に一列に並べられていた。本来は大日を中心にして4体の仏が衛星のように配置されているはず。 もちろん、縦横無尽に背面からも見ることを可能にしていたし、鑑賞者に配慮したそれなりのゆったりとしたスペースも確保されていたが、しかし立体曼荼羅を見る(感じる)という観点からは不十分だったように思う。解説も柱に多くは4体が一カ所の貼り付けられていて、参考にするのも不便だった。(写真2枚目は東寺講堂内の配置。赤★が今回非展示。) 文句を言わず、東寺に足を運べと言うことだろう。^ 今ひとつ分からなかったのは、光背が何故か多くの仏像で外されての展示だったこと。万が一のことを考えてのことかと思うが、少し悔やまれた。仏像を仏像史的にあるいは美術史的に見た場合に、特に疑問が残るのでは。 写真4枚目は「降三世明王立像」で、邪鬼のごとくになっているのはシバ神とその妻。wikiには、『降三世はサンスクリット語で、トライローキヤ・ヴィジャヤ(三界の勝利者 Trailokyavijaya)といい、正確には「三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者」の意味。 』とある。宗教抗争の影が見て取れる。立体曼荼羅の部屋では一番興味深かった。 立体曼荼羅以外では、後七日御修法(ごしちにちみしほ)関連資料や空海から最澄に宛てた手紙などを興味深く見た。 写真1枚目はパンフから、2と4は東寺のウェブページから、3枚目はこの像だけ写真撮影が許容されていたので実写。

  • 『写真の技術は英軍艦と共に日本へ』写真の起源 英国 (2019年3月5日~5月6日)

    歴史的な経緯は不明だが、昨年の「長崎」に続いて、写真黎明期の記録展を東京都写真美術館では行っている。解説冒頭には『日本における写真文化のセンター的役割を担う東京都写真美術館では、毎春、初期写真に焦点を当てる展示を行っており、2019年は「写真の起源 英国」展を開催します。 写真の発明に関する研究は18世紀末から始まり、1839年に最初の技術が発表されることで写真の文化が幕を開けます。英国ではヴィクトリア文化に根ざす貴族社会において、研究が発展し、広く文化として波及します。 』と、この展示の意義を語っている。 今回得た知見は主に二つ。 第一は、写真の技術の伝搬は、比較的早い時期に日本にもたらされたということ。前述のように1839年に生まれた写真は、およそ50年後の1893年には、日本で写真展が開かれるまでに至っている。飛行機がない時代、欧州と日本という地理的に隔絶された場所で、Exhibition of Foreign Photograph が開かれたのは驚きだ。二番目の写真がそれにあたる。(因みに1862年のロンドン万博では写真のセクションがあったそうだ。また日本最古の写真は1854年。驚異。) 第二は、最初期から芸術的関心を持って撮られていたこと。黎明期の写真家の中には、元々は画家だった人がいたこと。これが写真の黎明期から、構図という概念が持ち込まれていたこと。写真の前に画家は「カメラ・ルシダ」というモノを使って絵を描いていた。そうしたものの一つが写真3番目で、「海辺の断崖にある洞窟」と名付けられ、暗い洞窟から見た外界が表現されている。この成果に飽き足らず、写真の発明につながって行く。 最後の写真は、ロジャー・フェントン《死の影の谷》。戦争の写真。1855年。日本での田原坂の激戦地の写真もそうだが、ここでも戦闘場面を撮影するにはカメラの性能が未だ未熟で、直後の写真。おまけにこの写真は、臨場感を出すために砲弾の数を増やしたとか? 写真はすべてウエブページから加工。

  • 『とつとつと大石氏が語りかける反戦詩』大石芳野写真展「戦禍の記憶」 (2019年3月23日~5月12日)

    ここにあるのは「戦禍」の記憶であって、直ちには「戦争」の記憶を意味しないと思う。 歴史年表的な時間の概念で言えば、戦時の写真は一枚も無い。しかしながら、必ずしも戦時写真では無いとも、言えない。なぜなら、写真に登場する人々にとっては、少なくともその時点で、そして多くは今もなお、戦争に直面しているからだ。 写真展ではあるが、写真それぞれにはタイトルでは無く、あるときはいささか長い、多くは短い説明が付いている。そして、その多くは、そこにある大石氏の言葉は、あまり抑揚も無く、感情を押し殺すようにとつとつとした感じで、耳に響いてくる。それがまた、強く心に響く感じがする。 逆に言えば、それがないと少し写真を理解ずるのが難しい。 二枚目の写真は、アウシュビッツを経験した医師。今も医者だが、いまなお医師として仕事をしているが、なおホロコーストの影を背負っている。対人的な面で障害があるらしい。そうした説明を「聞いて」作品を見ると、この医師のメガネの奥にある瞳が、この人の歴史を反映しているようにも思えてくる。 デチャニ修道院(コソボ)と言うところを訪れたことがある。ここは独兵だったと思うが、警備に当たっていた。写真すら、撮ることの通常は出来ない場所。だから、3枚目のコソボの写真は、これほどの切迫感は無いものの、今なお続く現実。他国の軍隊に守られて存続している宗教という現実は、宗教の絡む争いの異様さをいやが上にも感じさせた。少なくとも訪問時、デチャニ修道院も構成要素になっている「コソボの中世建造物群」の中には、修復や保存の手が差しのべられていないと思われるものすらあった。それは「復興がまだ...」と言うより、「争いが未だ…」と言う意味だ。 最後の写真の場所は、着物の地が見えることからして、日本。広島。彼女は両手でわずか5本しか動かない手で、お針子をして、一人で子供を育てたという。そういう解説を「聞く」と、なおさらに突きつけられるものを感じる。また被爆の影響だけでは無い、齢を重ねた姿をその指に感じると、この記録の貴重さも見えてくる。 写真はすべてパンフの画像から。 シルバーデーであったが、普段のその日の数倍の人々の姿があった。恵比寿駅からの通路にも、「写真の起源 英国」展の広告はあったものの、この写真展の告知は皆無だった。やはり、日曜美術館の影響力はすごいのだと、感じさせられた。

  • 『梅か?桜か? 今上野は桜が満開』東京国立博物館 博物館でお花見を (2019年3月12日~2019年4月7日)

    新しい年号は令和となった。 白文:于時初春令月氣淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香(『万葉集』巻五の「梅花の歌三十二首 序文」) 書き下し文:時、初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。(ニコニコ大百科より) ということで、古くは梅の方が「花」を代表していたようです。でも、今上野は桜満開! 桜の時期になると東京国立博物館では、「博物館でお花見を」という企画をしています。最近では、「美術館でクリスマス」なんて企画もされるようになりました。スタンプを集めると缶バッジがもらえます。今年は西暦の数字が入った缶バッジが例年レアものだったので肝心の花見時期にはなくなっていたのを改善して、多めに作ったようで、私たちも無事にゲットできました。初めて。 さて幾つか作品を見ましたが、桜の作品ネタは尽きないようです。日本人と桜の関係は今や切っても切れないのだと思います。該当している作品を3つ紹介します。 写真2枚目は「色絵桜樹図皿」という鍋島焼きのもの。桜の花びら一つ一つが手書きされて、更に赤絵の具で輪郭線が描かれています。同じモノが5枚展示されておりました。数があると言うことは、何らかの取り皿のようなものだったのかも知れません。旬の筍の煮物など色合いからも合うかもと思いました。 写真3枚目は、「山鵲図目貫」(さんじゃくずめぬき)目貫とは本来は刀を柄に固定する金具で、時代が下って専ら固定する目釘と分離し、装飾具化されたものだそうだ。この大きさは見当32ミリ程度。あまり寄れなかったので、画像が粗いが、桜花を鳥が加えている。鳥は山鵲といい、小型のカラスで、足や口は赤いという。加えている花は3ミリ程度かと。超絶技巧。 最後の写真は、飯島光蛾(1820-1900)の「花下躍鯉」(かかやくり)と言う作品。不思議な絵。今にも花が咲く下枝に飛びつかんとする鯉。桜木は川端から斜めに出ているのだろうか?鯉は滝登りはするがそんなにジャンプする魚なのか。月の位置も微妙。咲いた桜の花の下から覗いている。画家の発想がすごいと言うべきか?風流のいいとこ取りと言うべきか? 最初の写真はパンフ。他は筆者(一部加工有り)。