• 『回向院のしゃれたプレゼント』二日間だけの鳥居清長と隅田川の夏展 (2018年5月19日~20日)

    回向院の回向とは明暦の大火に由来する。爾来、回向院はストライクゾーンの広い寺であったらしい。鼠小僧の墓などもある。その弔われている一人に、鳥居清長がある。しかしながら、鳥居清長の墓は現在特定されていない。代わりに平成25年4月に鳥居清長碑が立てられている。 そして、『(建碑)以降、毎年鳥居清長法要と鳥居清長と彼の作品を広く人々に伝えていこうと「鳥居清長忌展覧会」を開催しております。』ということで、今回の『二日間だけの鳥居清長と隅田川の夏展 』が回向院念仏堂にて開催された。 私たちは、東京メトロのウオーキングイベントで後楽園から錦糸町まで歩いたついでに、一つお隣の両国駅近くの回向院を訪れた。歩いている最中浅草を通ったが、丁度三社祭のさなかで多くの法被姿の氏子を見たが、ここ両国では夏場所の最中で、若い力士が駅や道路に見受けられた。回向院近くでも同様だった。因みに現在の回向院脇(当時は回向院の寺域)で勧請相撲がかつて行われており、両国の相撲の発祥の地とも言える。 日本画の中で、浮世絵というのは、もっとも光に弱いものという。そのために、念仏道は暗幕で囲われていて、中の照明はかなり落とされていた。無料の展覧会だが、チラシはもとより、作品リストも備わっていた、小さいながらも本格的なものだった。 この度のテーマはタイトルにあるように、隅田川の納涼さまをえがいたもの。特に、「歌川貞秀の三都納涼図」が一挙公開されていること。その構図の大胆さと繊細さには驚かされた。写真は両国(この他に浪速、四条河原)。橋の上の米粒のようなものは、みな人の頭。スケジュールの合間の見学で、単眼鏡を持参しなかったのが悔やまれる細密さ。 鳥居清長の作品は12点ほどあった。その中で最近自身が訪れた三囲(みめぐり)神社を題材にした「三囲の神詣」が目に留まった。この神社は(と言うよりこの辺りは)水害にしばしば見舞われている。神社の鳥居と大川の土手との関係が直轄に描かれている。(現在の社殿はこの鳥居とは無関係な方向で立てられている。)どちらにせよ、大川を渡れば直ぐに詣でることが出来た神社だったのだろう。なお解説では、鳥居は当時上半分しか土手からは角度の関係か見えなかったのだそうだ。 ともかく、このような機会を与えてくれた回向院に感謝。 写真は、清長碑以外は、パンフレットから。

  • 『写真はモノクロームだと思った』たのしむ、まなぶ イントゥ・ザ・ピクチャーズ (2018年5月12日~8月5日)

    東京都写真美術館は、都民の私にとっては、誇らしい美術館だ。写真美術館の草分けであるからだ。他の追随を許さないと言ってもよいと思っている。というか、本来国立でやるべきなのかも知れないだろうものを、東京都が担っていると言ってもよいのではとさえ思っている。その東京都写真美術館が、収蔵作品を紹介する展覧会をやっている。今年のテーマは「たのしむ、まなぶ」。 この展覧会、たぶんギャラリートークなどに参加した方がより良いと思える展覧会。浅学な私にとっては、個人の努力よりは、補助がいた方が分かりやすい感じがする。そういう時間でなくとも、バックアップするためか、「異常」と言ってはいけないかも知れないけれど、多くの学芸員が配置されていた。いや、自分たちで企画構成したためだろうか、配置されている(椅子などに座っている)方だけでなく、外に場内を歩いていたり、写真を撮っている方さえいた。声もかけて頂いた。 実際に、高度成長期前期の日本の都市過程の標準的とも思える台所の写真を、高校生とおぼしき数人に解説している学芸員がいた。解説というのは正しくないかも知れない。「貴方がここに今いたら何をしたいですか?」というような質問も投げかけている。写真芸術の裾野を広げようとしている工夫が見られた。 そうした中で、ひときわ目を引いたのは、ユージン・スミスの作品と、沢田教一の写真。沢田の写真は、ピューリッツァー賞受賞のきっかけにもなった「安全への逃避」。沢田の作品の大きさでも位置でも特別に扱われている訳でもないのに、訴求力が違った。 訴求力で言うと、モノクロームの力強さ。色がないだけで、時代を説明しているという点もあるが、それ以上に引きづり込まれるものがある。木村伊兵衛 作「浅草・花屋敷」。花屋敷前の掘っ立て小屋の居酒屋。背景には花屋敷の飛行機が回る。かつては背広を着た紳士も土方も同じモノをつついていた。花屋敷も「無料」と看板にある。時代が判ると言うことは、現在が判ると言うことにも通じる。レンズを通して見えているもの、見えないけれど五感の何れかで伝わってくるもの・・・それを鑑賞する展覧会だった気がする。 最後に表紙のピカソの手。同じようなパンが特別に喫茶で売られていたのはご愛敬。 3枚目の写真はwikiから。4枚目は木村伊兵衛作「大阪・中之島公園」、展覧会ページから。

  • 『霊峰飛鶴は素晴らしいと思った』生誕150年 横山大観展 (2018年4月13日~5月27日)

    まぁ日本画壇の重鎮の作品展も見に行かないと・・・という思いで参観。大観の生年は明治元年。明治150年の今年は生誕150年。その記念の年に開かれた展覧会。 洋画にどちらかと言えば慣れ親しんでいるからか、先に東博の「名作誕生」で一定日本美術を学んだ学び方に難があったのか、強い感動を覚える作品は少なかった。 画の着想や、アイディア勝負のところが目立つ感じがした。まぁ画家というのはそういうものだと思うけれど(モジニアリの画は誰が見てもモジニアリ)。 それにしてもベタすぎる。 目玉の一つ「夜桜」の松。松葉を丁寧に一本一本描いている。でもそれは単眼鏡の世界。松葉だって、それぞれ表情があるだろうに、同じ色同じ体裁で、途方もない数の松葉を描く。遠くから見れば緑の塊。点描でもない。単にパーツとしての篝火。 対になる「紅葉」の紅葉葉の方がづっと風情があった。 特徴の「片ぼかし」も作品解説にもあったが、一つの作品に執拗に繰り返す。何故だろう。 一番感動したのは「霊峰飛鶴」。鶴がスタンプじゃない。85歳位の作品。飛んでいる鶴にそれぞれの個性を感じた。風情があった。鶴に意思を感じた。鶴さえ富士を賛美している風だ。富士がその分引き立って見えた。まぁ逆光はお愛嬌としておきたい(画像がなくて申し訳ない)。 興味を持ったのは「迷児」。迷える人間の代表としての幼子を、釈迦・イエス・孔子・老子が囲む意匠か。東京中野哲学堂公園の一角を占めるワグナーナンドール(以下W)の作品を想起した。何人かの宗教の創始者哲学者等が池に向かって並ぶ立体作品群。このWの作品、益子のアトリエと生誕地ブダペスト王宮近くの丘にもあり、それぞれを訪れているので余計にだろう、Wの類似性に惹かれた。Wは半世紀も後の人だが、大観の絵でWの東洋(日本)に傾倒していった気持ちが逆に鮮明になった感がある。 最後に生々流転。地球上の水の循環、四季の移ろい、一日の時の移ろいを、見事にミックスして表現している・・・と解説に。同感。あと加えるとすれば、人の一生か。輪廻転生の世界をも見たかった。しかしこうした大作にするより、連作にした方が、後々の人も見やすいというものだろうにとも思う。最後の4メートルの大海原表現の故なのかも知れないが、常に、また今回のよう長蛇の列で鑑賞しなければならないのは、不幸かと。 写真は二枚目以降展覧会ページより。

  • 『実はキュビズムと決別していた?! ブラック』ジョルジュ・ブラック展 絵画から立体への変容 ―メタモルフォーシス (2018年4月28日~6月24日)

    ブラックというと、茶色を基調としてキャンバスにキュビズムで表現する画家というイメージ。そして、どうしてもついて回る、「ピカソと共にキュビズムを創始・・・」という形容詞。あまり「ブラックと共にキュビズムを創始・・・」という表現はピカソには使われない。まぁ、浅学な私の知識は、この程度のもの。 事情があって、新橋で空いた時間が出来たので、展覧会を訪れることにした。 汐留ミュージアムには前売りのシステムが無いように思う。しかしここには高齢者割引と、ウエブ上での割引券が併用できるという、ありがたいシステムがある。これを利用して、二度目の訪問となった。 このミュージアム、私にはどうしても金持ちの道楽の風がつきまとう。客集めに奔走している風はない。それでも、偶然だが、この日は前回同様に、ポストカードを頂ける日であった。(2枚目の写真) さて今回は、ブラックが本当の最晩年に「ジュエリークリエイターのエゲル・ド・ルレンフェルドと共同」で手がけた、ジュエリー作品を中心とした展覧会で会った。しかも、後半生の作に良く用いられた「鳥」をテーマにしたものが多かった。3枚目の写真は、「青い鳥、ピカソへのオマージュ」という作品。「鳥」の例として掲げた。これと次の4枚目の写真は当展覧会ウェブページからの引用。 で、今回はこうした作品をベースとして、エゲル・ド・ルレンフェルドが自由に創作を加えたジュエリー作品が並んだ。写真4もその一つ。これらは、エゲル・ド・ルレンフェルドの力によるところが大きいと感じた。 作品に、「メディアの馬車」というモチーフのブローチあがって、そんなお金はないけれど、奥方にプレゼントしたいとさえ思った。 こうしたモチーフは、陶芸、レリーフを発展させたような立体的な作品、壁掛けのようなもの、タピストリーと、展開されていく。表現がうまくないが、キティーがスーツケースや腕時計等々といろいろと変化していくのと同じような感じ。トウハクで行われている「つながる日本美術」の超micro版のような展開でもあった。 ところで汐留ミュージアムは「ルオーギャラリー」とも名乗っており、ルオー作品を多数保有する。ルオーとの共通点を探してみた。両者とも名は「Georges」、そして両者とも国葬になっている。 ブラック逝去時の文化相はアンドレ・マルローで、ルーブル美術館前で送辞を述べたと言うことだ。

  • 『日本美術の講義を拝聴している気分』名作誕生-つながる日本美術 ~ 創刊記念『國華』130周年~ (2018年4月13日~5月27日)

    小学校から高等学校の10年間の美術教育の中で、今どの程度日本美術に割かれてるのだろう? 自身の記憶はもう50年近くも前なので怪しいが、例えば水墨画を描いた記憶はない。学校教育のせいとは言わないが、自身の展覧会鑑賞も、その多くは西洋美術が占める。 そのような私にはまたとない、日本美術の敷居を幾分かでも下げることの出来た展覧会だった。 全体は、「第1章 祈りをつなぐ」「第2章 巨匠のつながり」「第3章 古典文学につながる」「第4章 つながるモチーフ/イメージ」の4部構成。全体が緩やかではあるが、歴史を軸にしている。その中で、ケースワークのような仕掛けを作っている。例えば第一章では普賢菩薩が取り上げられていて、普賢菩薩の祈りの姿に二大潮流(右手念じ左手蓮茎型と合掌型)があり、合掌型は後年盛んになり、やがて法華経(普賢菩薩は法華経を護持する者の仏)の女人成仏と深く結びついた形で絵画が興隆していった姿が、鑑賞を通じて得られるようになっていた。ちなみに、「仏画のお約束では、向かって右が東。普賢菩薩は東の方にある浄妙国土から現れると経典にあるので、多くの仏画では右から来たように描かれる。」(瀬谷愛:東京国立博物館主任研究員)のだそうだ。 このように、4つの章は全体で12のテーマに細分化されている。 次に私が感じ入ったのは、美術の背景としての伊勢物語。白い牡牛と裸女をテーマの絵画は、「ヨーロッパ」の語源ともなったゼウスの拐かしの行状を描いたと理解できるのは背景のギリシャ神話の知識が必要。そのような意味で、昔の日本人は「伊勢物語」の一節である八橋の下りを常識として得ていたのだろう。伊勢物語を抜きにしてはカキツバタや橋を描いた美術品を鑑賞することは叶わないのだと学習した。螺鈿の美しさも、業平の和歌に思いをはせることが出来なければ、鑑賞は達成されないと、深く恥じ入った。 長谷川等伯の国宝「松林図屏風」へ至る道もテーマに設定されていた。この作品が、習作であった可能性にも驚くと共に、確かに小さな和紙の組み合わせも合わせて確認できた。ここでは、こうした歴史的追求を習うと、改めて中国というのは東アジアにおいて政治のみならず美術史においても多大なる影響を与えてきたとの思いを新たにした。 今回のチラシ以外の写真は展覧会ページより引用。

  • 『緑豊かな大地だったアラビア!』アラビアの道~サウジアラビア王国の至宝~ (2018年1月23日~5月13日)

    東京国立博物館に出かけた。本館を出たときに、「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」が会期を延長して、しかも無料で開催中という案内。つい最近まで有料で開催されていたはず。何故に?と疑ったが、何せ無料に弱いわが家、ありがたくこのチャンスを有効に活用させて頂いた。 つい先だって(4月12日)のナショナルジオグラフィックのニュースでは、「アラビア半島で8.8万年前の人骨、定説より古い・・・人類はこれまで考えられていたより早く、広く拡散していた」と報じている。(http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/041100162/)更に、「そこは豊かな草原地帯で、雨期が来るたびに緑が芽吹き、数多くの淡水湖が点在していた。アラビア半島の砂の中からはこれまでに、カバをはじめ、アフリカにすむ水生および半水生哺乳類の存在を示す証拠が見つかっている。このほか石器が見つかっており、人類がアラビア半島にいたらしいことはわかっていたが、人類の化石そのものが出土したことはなかった。」とも。 この発見の考古学的意味は大きいが、ここではアラビア半島が肥沃な土地だったと言うことを初めて知った、我が無知を押さえておきたい。 写真1枚目のパンフレットに移っている石像は、紀元前3500~同2500年頃のもので、このころアラビア半島全土で人々の活動があったと言うことだ。 写真の2枚目は、パンフレット裏面にあった。ガァバ神殿の扉。オスマントルコのスルタンからのもので、1635か1635年のもの。 写真の3枚目は、「アブドゥッラ-の息子アッバース」のものという解説の付いた墓碑。こうした墓碑の中にはアラム語で書かれているものもあった。懐かしく思った。アラム語は古代のこの地域などで使われていた、それも公用語的に近い使われ方。今なお使用している地域が幾つか存在する。イスラエル旅行で、アラム語を話す村というものの見学をしたことがあった。イエスもアラム語に近い言葉を話していたと言われている。 写真の4枚目左は、初代のサウジ王が使ったものの展示の中にあった刀。おそらくは腰につけていたのだろう。これは少なくともイエメンでは現在でも成人男子の象徴のような存在。イエメンと言えば、サナアの高層建築を思い出す。今回の展示品の中にも、4枚目右の石版に同じような高層建築を描いたものがあった。

  • 『マネをマネたモネ、モネをマネたマネ』プーシキン美術館展~旅する風景画 (2018年4月14日~7月8日)

    プーシキン美術館は10年前後前に訪れる機会があった。その時の印象は、よくこれだけのものが集められたものだという、驚き以外になかった。事前の知識も殆ど持ち合わせていなかったので、なおさらだったように思う。その中から、風景画に的を絞った作品が65点来日を果たした。東京都美術館の一角の3フロアーを使った展示で、後半はゆったりしていたが、最初のフロアーに26点を詰めてあって、窮屈さは禁じ得なかった。 訪問した日はかなりの雨。もちろん第三水曜日の65歳以上無料開放日。それでもかなりの人が押し寄せていた。 朝イチに入館し、まずは一つ上の階の『草上の昼食』を見に向かう。未だ開館直後で、多くの人が階下の作品を見ている間に、独占的に鑑賞出来た。今回の目ダマはなんと言ってもこの作品だろう。2014年に来日したマネの『草上の昼食』は、未だ記憶に残っている。そのスキャンダラスな登場もその時に学習した。もっとも、その前にオルセーでお会いしていたのだけれど。 実は今回のタイトルも、草上の昼食にまつわる話から。由来の詳細はwikiなどを見てもらいたい。 個人的にはゴーギャンの「マタモエ、孔雀のいる風景」に引かれた。どこかおどろおどろしさを感じさせる作品。ゴーギャンらしい作品。 セザンヌのサント=ヴィクトワール山も晩年とその約20年前の精密に描いていた頃の二つが来ていた。 全体を6つのテーマに分けての展示でだったが、テーマについて言えば、「大都市パリに風景画」のコーナーが最も良かった。その時代の絵はがきのようなものも展示されていたりとか比較を楽しめたり、大改造後のパリの姿の再現に成功していたように思う。 今回特筆すべきと感じた二点について。 第一は、解説がすべての作品に添付されていた。かなりのヒトが、作品よりも解説を読む。鑑賞した気になるのか、読むと移動してしまう。逆に言うと、解説を読むために渋滞する。それから、正直なじみの少ない作家の作品もあったのだけれど、作家の解説が割愛されていたのが少し残念。 第二は、図録。コンパクトながら、角を丸めるなどこった作り。かねてより主張しているが、図録は画集ではなく、あくまでも鑑賞の手引き。やや無理をすれば鑑賞に同行させることが可能なサイズは、好感が持てた。 今回の写真は東京都美術館とこの展覧会ページより引用。

  • サンプル

    あいうえお

  • 『龍馬を撮った彦馬?!』写真発祥地の原風景/長崎 (2018年3月6日~5月6日)

    東京都写真美術館であるが、都立ではあるが我が国の『写真文化のセンター的役割を目指す』ことを基本的方針にしている。で、明治150年で、今回の展覧会に至ったらしい。それにしても、言いたいことは話伝わるけれど、無骨なタイトルは何とかならなかったのだろうか。 館自体の所蔵品も多かったが、かなりの部分を「長崎大学附属図書館」所蔵品に寄っていた。長崎大は、「幕末・明治期日本古写真コレクション」を持っている。ウェブページも有り、会場でも閲覧できた。 さて、当然なことながら、開港した土地は最初に新しい文化が入ってくる土地であって、写真もその例に漏れない。当時は現場で調合して撮影するなどの状況であったろうから、そのまさに土地が或いはその土地にその時に存在したヒトなどが手近な被写体になる。故に、今も多くの古い写真が残っている。今回はそうした長崎にスポットをあてた展覧会。今後はたぶん横浜や函館も・・・と思う。 全く恥ずかしい話だが、日本における写真の始祖とも称えられる『上野彦馬』を知った。たぶん、写真を学ぶ学生などは、絶対に外せない人物だろう。(因みに龍馬を撮ったのは彼の弟子との説が今日では有力。) で、私が注視したのはこの人が田原坂戦役直後に撮影したと思われる3枚目の写真。 由来は、『・・・上野彦馬は、長崎県令北島秀朝を通じて政府軍の征討参軍川村純義の命を受け、西南戦争に従軍して数々の戦場記録写真を撮影しました。当時使われていた湿板写真は、その場でガラス板に感光材の塗布をし、現像処理までを行わなければなりませんでした。そのため、彦馬はこの撮影用に特製の携帯暗室までしつらえ、撮影助手の弟子二人と機材を運ぶ人夫8人を含む、総勢11名の撮影隊を結成して撮影に挑みました。まだ危険が残る戦場での撮影に、彦馬らは多大な労力を費やしたようです。』(http://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/photo-exhibition/2010/20100803.html) この写真の何処に注視したかは、作品のページで後述したい。 なお今回の写真の前半の二つは、パンフレットから。最後の一枚は、日本写真学会の「http://www.spstj.org/gallery/detail_284.html」からの引用。