• 『代表作を一同に』大浮世絵展~歌麿、写楽、北斎、広重、国芳 夢の競演~ (2019年11月19日~2020年1月19日)

    第三水曜日、東京都関連美術館65歳以上無料の日に行った。あいにく総武線が人身事故?の為に遅れていたせいもあろうが、大混雑とはならなかった。 今回は、歌麿、写楽、北斎、広重、国芳の作品が、名作30点程度ずつを紹介する形の展覧会。 海外からの一時帰国組も数多くある。一時帰国ものを中心に見た。 筆者のような初心者には、ベーシックな部分を押さえておくという意味でも、価値ある展覧会であったと言える。 それにしても、これらの作者の外に、彫り師や刷り師が、隠れた作者だと思わざるを得なかった展覧会でもある。歌麿の「青楼仁和嘉女芸者之部唐人獅子角力」の唐人の帽子を透けて見える髪の毛など、彫り師の技量が問われるところだ。 また広重の「東海道五拾三次之内日本橋朝之景」の朝焼けのグラデーションはたまらない。 逆に言えば、国芳の頃にはこうしたテクニシャンが減ってきたのだろうか?お得意のマルチ画面の作品の位置や色の食い違いが目立つ。 以下では、歌麿、写楽、国芳から各一点ずつを選んだので、北斎と広重について少し触れておきたい。 北斎について言えば、ミネアポリス美術館からの一群の作品。写実的且つデザイン的にも優れ、手書きの感じも残している。その他は、これまで殆ど見てきた作品なので、他の作者よりも時間をかけずに、鑑賞した。 広重だか、この人も東海道五十三次に代表されるように、私には鑑賞チャンスは多い。この中で、目に留まったのは、先にも言及した「東海道五拾三次之内日本橋朝之景」(中外産業株式会社原安三郎コレクション)。これまで見てきたどの日本橋よりも、朝焼けの赤が鮮やかだった。コレクションの質の高さが感じられた。 今回の写真は、表紙はパンフレットから、その他は特設ウェブページからの引用。

  • 『質の高い個人コレクション』コートールド美術館展~魅惑の印象派~ (2019年9月10日~12月15日)

    正直言って、コートールド美術館展をなめていた。 だいたいこの名前すら知らなかったのだ。深く恥じ入る次第である。 目玉のマネの「フォリー=ベルジェールのバー」はどこか画集か何かで見たような気がするし、センザンヌの「カード遊びをする人々」はしっかり記憶に残っているがオルセーで見ている。まぁ、そんな感じで見に行った。 日美後のシルバーデーは長蛇の列。でも中は混んではいたが、激混みではなかった。作品の点数が少ないことが幸いしていたと思う。最近は、100点を超えるような展覧会が多いが、60点ほどで、作品と作品の間に適度な空間があった。こう言っては失礼だが、勢い解説を読まれる方が多くいるので、作品の解説側の反対からは読んだ人が移動するスペースさえ空けておけば、並ばなくてもかなりゆったり鑑賞出来た。もちろん我々は第一パートは飛ばして、第二パートからゆったりと見学をした。 ゆったり感は、作品が厳選されていると言うこととともに、比較的作家が一塊になる配列だったコトも寄与しているように思う。 今回の展覧会の、印象派~新印象派~ポスト印象派の作品群について、質に於いて目を見張るものがあった。今年は、個人コレクションの発展系の展覧会が幾つかあったし、そのうちの幾つかは鑑賞もしているが、たぶんその中でも抜きん出たものだったという感じがする。そう、事前のいい加減さからすれば、心地よい驚きで、展覧会を見た。 展示の中でも、例えば先にあげた、「フォリー=ベルジェールのバー」や「カード遊びをする人々」などは、図で表示して吹き出しを設けて、たとえば瓶のここにマネのサインと年数が書き込まれていますよとか、点描画ですがこうした逆光の樹木も一件黒っぽい塊に見えるけれどしっかり点描で描かれたいますよとか、鑑賞者の補助をしていた。モディリアーニの裸婦など、解説がなければ、その筆遣いのあとを持参した双眼鏡で確認することは無かっただろう。また展示会場の上層階に昇る踊り場には、主立った作家の解説ビデオなどもあって、初学者には非常に助かる演出がなされていた。これらは東京都美術館側の演出(作品数の補填)もあろうが、コートールド美術館展側の強い意向によるものではないかと類推し、更にそこに作品への愛情のようなものさえ感じた。 今回所写真は、1枚目はパンフから。それ以外は公式Twitterページから。

  • マイセン動物園展

    マイセン好きとは言っても染付の方が好きだし、動物の成形がメインの展示は楽しめるか不安もあったのですが……杞憂でした! というのも動物の生態が生き生きと描写されてまして。ああこの動物こういう動きするよねー、とか。こういうポーズよく見る!とか。 「動物園展」という名前そのまま、まさに動物園を見ているかのようでした。 まずは比較的よく見るタイプの作品(甕とか)から始まり、最初の目玉がシャンデリア!(写真1枚目参照) 下の方にぶら下がってる花の塊、ちょっといい値段の造花と同じくらい綺麗に見えるんですが、磁器なんですよね……。 床の振動で微かに揺れるのもシャンデリアらしくて良かったです。 次は装飾付きの花瓶とかが並びます。具体的には写真2枚目をご覧ください。これは正面にいるコガネムシっぽい甲虫が好きで撮りました。 あとはスノーボールに小鳥が止まっているものとか。中には小鳥がスノーボールのあの花びらを咥えているものもあって和みました。 その次は今回の展示のメインである、成形された動物たちの置物。これが大変種類がありまして……。犬だけでも犬種違いで複数ありましたし、猫はありとあらゆるポーズが作られてました。 写真3枚目のは「毛づくろいする子猫」です。これほんと生きてる猫の動作そのままで感動しました。 動物の種類も多岐にわたり、まさに動物園。覚えている限りでキリンやガゼル、白熊、ペンギン、などなど。 またこの辺で「釉下彩」という技法が紹介されていまして。釉薬の下に絵付けしたそうなんですが、これによって輪郭線がはっきりしないぼやけた表現になり、動物の毛並みを表すのにピッタリでした。前述のガゼルやキリンで特に有効活用されていたように思います。 なお釉下彩は関係ないのですが、このコーナーの1番のお気に入りが写真4枚目の蓋物「コイ」です。 このリアルさ最高。 これらの動物モティーフのために起こされたスケッチ等も挟みつつ、最後は炻器等、磁器以外の作品でした。 枚数制限があったので写真貼れてませんが、ここにあったカワウソの炻器(だったか、磁器作る前の鋳型用に作った粘土的なやつだったか……)が、手足が大変リアルでお気に入りでした。 総括すると、マイセン好き&動物好きには大変楽しめる展示でした。ありがとうございました。 (展示終わってからの投稿で申し訳ないです)

  • 染付 ― 世界に花咲く青のうつわ

    最近全然投稿してなかったので、少々古いやつから書かせてください。 今年の冬に出光美術館でやってたやつです。ざっくり言うと、中国の「青花」をメインに、それを取り巻く歴史を(だいたい)年代順に並べた展示でした。 当時のメモをもとにその順に沿って紹介してみたいと思います。 ・最初に青を使ったのは東欧~西アジア それが「色目人」(中国から見てもっと西の方の国の人たちをこう呼んでたそう)によって中国に入ってきて、焼き物技術の向上と共に青花が生まれたとのこと。確かにラピスラズリとかってトルコとかペルシャとかで使われてたイメージなのでこれには納得。 ・その後、中国が明とか清とか変わるに伴って、技術(陶芸よりは顔料の精製部分)に差がでてきた それでも過去の模倣を第一として、わざと古いのと同じように見せかけてましたという説明があり。確かに似せて作ってるのが見て取れて面白かったです。 ・その中国の技術が挑戦や日本に入ってきた そしてそれが日本国内でもどんどん洗練されていったということで、国内の作品が。主に鍋島でした。 ・最終的にそれはヨーロッパに渡って、あっちの人たちがまた新たに模倣した 個人的にマイセンが好きなもので、柿右衛門を真似て作ったシノワズリな器とかは確かに観たことあったので、「あれのことかー」となりました。 最後の東アジア→ヨーロッパの流れは把握してたのですが、それより更に前の流れは今回初めて観まして。ああ、文化は相互に影響しあって発展・洗練されていくんだな……と何やら感慨深かったです。(他の企画展で観た内容と知識が繋がっていくのって知的興奮が喚起されますね!) ちなみに1番好きだった作品は「青花龍涛文天球瓶」。 (多分こちらの画像と同じ品です→https://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/colle040.html) 背景の波の緻密さ&ダイナミックさは言わずもがなですし、この白抜きの龍、ちゃんと鱗も彫ってありまして。全体的に精巧で恰好良いのですが、肝心の龍の目(点睛)を見て頂きたく。 そんな荒々しく表現されてる龍の目にしては つぶら すぎません?!?! めっちゃ和みました笑

  • 『「創立者」の特別展にしてはもうちょっとと思ってしまった』国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展 (2019年6月11日~9月23日)

    松方幸次郎という人物がこの世に存在しなかったら、国立西洋美術館は世に生まれ出たとしても、コルビジェの設計にもならなかったろうし、全く違ったものになっていたと思う。 だから、今回の特別展は、特別展の中の特別展だった。 鑑賞も重要だったが、それとともに国立西洋美術館誕生史としての側面を持つ展覧会であったとも言える。その意味で、メモを書く。 出品点数に不満は無かった。しかし幾つか不満があった。一言で言えば、日本博やbeyond2020のための、急ごしらえ感を感じさせた展覧会。 (1)解説が不満。まず文字が小さい。小さすぎる。目の良い人でも、1メートル内外近づかないとダメ。それから位置。作品の流れの上流に付けてくれないと意味が無い。また普段展示されていたり、展示の多い、西洋美術館所蔵の展示の解説は少なくて良いから海外からの、もう二度と来ることはないような作品にこそ解説の労をして欲しかった。 (2)ライティングがダメ。作品を正面からは見ることの出来ないライティングがかなりあった。並べれば良いわけではない。直接手の届かないような高所に設置されている作品にガラスは不要だったはず(契約上なのかも知れないが)。 (3)何か心のこもって無さを感じた。ガラスネガが発見されたと言うが、博物館じゃないのだから、陽画にしてもらわないと、鑑賞は難しい。作品は流転をしての今の姿なのだから、その流転を辿ってもらいたかった。焼けてしまった作品リストが発見されたと言うが、ビデオではなく、コピーを展示して欲しかった。その方がその全貌のすごさが分かったはず。 今回驚いた点(=学んだ点)は二点あった。 (1)私事ながら良く塩原に行く。その道中にある千本松牧場、其れが松方幸次郎の父親の持ち物だったこと。作品収集にも少なからずの影響があったことと思う。 (2)松方コレクションのかなりが、日本の美術館に収蔵され、西洋美術館のみならず、幅広く日本に残っていること。 特に改めて感じたのは、1900年前後の限られた時期の美術シーンを松方コレクションは感じさせてくれるものだと言うことだった。 本当なら、国立西洋美術館は、松方幸次郎記念というような肩書きがあっても誰も文句を言わない美術館だろう。(今回写真はすべてパンフから。3番目はマティス:長椅子に座る女)

  • 『私のクリムトのイメージの破壊~何も分かっていなかった~』ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 (2019年4月24日~8月5日)

    国立新美術館の、「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」へ。 クリムトというと、つい先日東京都美術館の特別展「クリムト展」へ行ったばかりだ。 今回の展覧会は、ウィーン・ミュージアムの改修工事に伴い、同館の主要作品をまとめて公開することになったもの。東京展で約400点(大阪の国立国際美術館では約300点)が公開される。 全体が4章に分かれている(*1)。更に各省は細分化され、それぞれに名がつけられていて、まるで事典をひもとくような感じになっていた(ただ作品がそれに応じて展示されていないところもあって少し残念だった)。私たちは、クリムトとシーレの作品を見たい!の思いで、最初にそちらに赴いた。ちなみに、12時前後での入口付近の混雑はさほどなかったので、急がずとも結果的にはゆっくり鑑賞出来たと思われる。 ポスターは「エミーリエ・フレーゲの肖像」。この作品は、当該ウェブページの冒頭を飾ることからしても、ウィーン・ミュージアムを代表する作品の一つ。当日は写真撮影が可能だった。 私たちは、ここにほぼ4時間いた。正直に言えば、椅子に座ってうつらうつらしていたときもあるが、それでもこんなに展覧会場に長きにわたっていたことはおそらくはなかっただろう。それほどに今回の展覧会は規模も大きく、引きつけられる作品も多かった。 個人的には、二つの点が今回の大きな収穫だった。 第一は、クリムト。クリムトと言えば、金箔をあしらった作品がどうしても頭の中に浮かぶ。しかしどうして、若いころには、そのイメージとは随分とかけ離れた作品も描いていたと言うことだ。弟が早世しなかったら、クリムトはまた違った人生だったのかも知れない。 第二には、最後の写真で示した、ココシュカの「殺人者、女たちの希望」が衝撃的だった。というか、ココシュカを勉強しないといけないと思った。 ともかく、今回は作品点数も膨大で、しかも重要な作品も含まれていて、見応えのある展覧会だった。幸いにも鑑賞時の入場者はそう多くはなかったのに助けられたが、もっと多かったらぐったりとしてしまった展覧会だったことだろう。 *1 「啓蒙主義時代のウイーン」「ビーだ-マイア-時代のウイーン」「リンク通りとウイーン」「1900年-世紀末のウイーン」

  • 『一寸物足りなかった感じかな』クリムト展 (2019年3月26日~6月2日)

    私のクリムトの知識というと、接吻とウイーン分離派の旗手の一人というくらい。ウイーンに行ったが、「分離派会館」は城のような建物の上に載っかっている球体(月桂樹の葉で構成・・・通称「金のキャベツ」)をちらっと見ただけだった。まぁ、この時代(20年くらい前か)は今ほどに美術を見る気分でもなかったので、そのような一般的知識の中での存在でしかなかった。 ところが、今年はクリムトが沢山やってくる。その中でも、この展覧会は「過去最大級」を売りにしているので、東京都美術館の65歳以上無料開放日に出向いた。 展覧会の最初は、クリムトらの写真が並ぶ。自画像を制作しなかった?代替か。 最初に印象に残ったのは、姪ヘレーネのポートレート。6歳と言うが、顔立ちや胸の膨らみがその母への面影なのか、強調されている感じがした。(2番目の写真) さてクリムトと言えば、金。これが日本美術の影響だと、恥ずかしい話し始めて知った。 クリムト自身かなりの日本美術のコレクターだったらしい(証拠の写真もあった)。表紙はユディット1からだが、恍惚感はクラナッハのそれに通ずるものがある感じがした。 また接吻もそうだが、正方形に近いキャンバスを多用したのも、日本の屏風の影響を感じさせるとか。 東洋美術の影響を感じさせるというのが、3番絵の作品「オイゲニア・プリマフェージの肖像」。プリマフェージ夫妻はクリムトのパトロンであった人とのこと。晩年の作品。 最後は、分離派会館にかつて飾られ、ベートーベン・フリーズと名付けられた壁画の一部、 中央の壁「敵対する勢力」の部分。三人の女性は「淫欲・不貞・不節制」を表しているのだそう。この壁全体が今回レプリカで再現。感じとしては、会場の都合であろう、少し低い位置からの鑑賞。 さて、最後にこのクリムト展の感想。今回目玉の作品の来日を果たした点では、「最大級」なのだと思うけれど、クリムト作品の点数もそう多くはなく、少し物足り感じがしました。 なお今回の写真はすべてクリムト展のパンフレットから。

  • 『立体曼荼羅の世界にもう少し近づきたかった』国宝東寺~空海と仏像曼荼羅~ (2019年3月26日~6月2日)

    平成最後の日、東京国立博物館平成館に向かった。 平成から令和へ変わる祝賀行事関連で10連休になった今年のゴールデンウイーク中で、しかも日美直後で心配したが、混雑はしていたが、大混雑というものではなかった。 今回の特別展のタイトルは国宝東寺。東寺には81点の国宝があるという(日美)。タイトルは矛盾していない。 そして今回の目玉はやはり、立体曼荼羅。我々もルール違反かも知れないが、まずのその部屋(一番最後の展示室)に足を運んだ。 立体曼荼羅は、二次元の曼荼羅の世界を、三次元的に表して、より密教を庶民に分かりやすくしたものと言うことが出来るのだろう。しかしながら、それ故にその展示にいささか疑問が。大日如来が来なかったのは致し方のないこととは言え、東寺の実際の配置からはいささか配置を異にしていた。例えば五智如来。部屋の奥の長辺に大日如来の写真画像を中心に一列に並べられていた。本来は大日を中心にして4体の仏が衛星のように配置されているはず。 もちろん、縦横無尽に背面からも見ることを可能にしていたし、鑑賞者に配慮したそれなりのゆったりとしたスペースも確保されていたが、しかし立体曼荼羅を見る(感じる)という観点からは不十分だったように思う。解説も柱に多くは4体が一カ所の貼り付けられていて、参考にするのも不便だった。(写真2枚目は東寺講堂内の配置。赤★が今回非展示。) 文句を言わず、東寺に足を運べと言うことだろう。^ 今ひとつ分からなかったのは、光背が何故か多くの仏像で外されての展示だったこと。万が一のことを考えてのことかと思うが、少し悔やまれた。仏像を仏像史的にあるいは美術史的に見た場合に、特に疑問が残るのでは。 写真4枚目は「降三世明王立像」で、邪鬼のごとくになっているのはシバ神とその妻。wikiには、『降三世はサンスクリット語で、トライローキヤ・ヴィジャヤ(三界の勝利者 Trailokyavijaya)といい、正確には「三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者」の意味。 』とある。宗教抗争の影が見て取れる。立体曼荼羅の部屋では一番興味深かった。 立体曼荼羅以外では、後七日御修法(ごしちにちみしほ)関連資料や空海から最澄に宛てた手紙などを興味深く見た。 写真1枚目はパンフから、2と4は東寺のウェブページから、3枚目はこの像だけ写真撮影が許容されていたので実写。

  • 『写真の技術は英軍艦と共に日本へ』写真の起源 英国 (2019年3月5日~5月6日)

    歴史的な経緯は不明だが、昨年の「長崎」に続いて、写真黎明期の記録展を東京都写真美術館では行っている。解説冒頭には『日本における写真文化のセンター的役割を担う東京都写真美術館では、毎春、初期写真に焦点を当てる展示を行っており、2019年は「写真の起源 英国」展を開催します。 写真の発明に関する研究は18世紀末から始まり、1839年に最初の技術が発表されることで写真の文化が幕を開けます。英国ではヴィクトリア文化に根ざす貴族社会において、研究が発展し、広く文化として波及します。 』と、この展示の意義を語っている。 今回得た知見は主に二つ。 第一は、写真の技術の伝搬は、比較的早い時期に日本にもたらされたということ。前述のように1839年に生まれた写真は、およそ50年後の1893年には、日本で写真展が開かれるまでに至っている。飛行機がない時代、欧州と日本という地理的に隔絶された場所で、Exhibition of Foreign Photograph が開かれたのは驚きだ。二番目の写真がそれにあたる。(因みに1862年のロンドン万博では写真のセクションがあったそうだ。また日本最古の写真は1854年。驚異。) 第二は、最初期から芸術的関心を持って撮られていたこと。黎明期の写真家の中には、元々は画家だった人がいたこと。これが写真の黎明期から、構図という概念が持ち込まれていたこと。写真の前に画家は「カメラ・ルシダ」というモノを使って絵を描いていた。そうしたものの一つが写真3番目で、「海辺の断崖にある洞窟」と名付けられ、暗い洞窟から見た外界が表現されている。この成果に飽き足らず、写真の発明につながって行く。 最後の写真は、ロジャー・フェントン《死の影の谷》。戦争の写真。1855年。日本での田原坂の激戦地の写真もそうだが、ここでも戦闘場面を撮影するにはカメラの性能が未だ未熟で、直後の写真。おまけにこの写真は、臨場感を出すために砲弾の数を増やしたとか? 写真はすべてウエブページから加工。