クイックノート投稿

ログイン

ログイン

パスワードを忘れた場合はこちら
アカウントをお持ちでない場合

新規登録

新規登録

すでにアカウントがある場合

Forgot Password


ノート

Sidebar

『霊峰飛鶴は素晴らしいと思った』生誕150年 横山大観展 (2018年4月13日~5月27日)

まぁ日本画壇の重鎮の作品展も見に行かないと・・・という思いで参観。大観の生年は明治元年。明治150年の今年は生誕150年。その記念の年に開かれた展覧会。 洋画にどちらかと言えば慣れ親しんでいるからか、先に東博の「名作誕生」で一定日本美術を学んだ学び方に難があったのか、強い感動を覚える作品は少なかった。 画の着想や、アイディア勝負のところが目立つ感じがした。まぁ画家というのはそういうものだと思うけれど(モジニアリの画は誰が見てもモジニアリ)。 それにしてもベタすぎる。 目玉の一つ「夜桜」の松。松葉を丁寧に一本一本描いている。でもそれは単眼鏡の世界。松葉だって、それぞれ表情があるだろうに、同じ色同じ体裁で、途方もない数の松葉を描く。遠くから見れば緑の塊。点描でもない。単にパーツとしての篝火。 対になる「紅葉」の紅葉葉の方がづっと風情があった。 特徴の「片ぼかし」も作品解説にもあったが、一つの作品に執拗に繰り返す。何故だろう。 一番感動したのは「霊峰飛鶴」。鶴がスタンプじゃない。85歳位の作品。飛んでいる鶴にそれぞれの個性を感じた。風情があった。鶴に意思を感じた。鶴さえ富士を賛美している風だ。富士がその分引き立って見えた。まぁ逆光はお愛嬌としておきたい(画像がなくて申し訳ない)。 興味を持ったのは「迷児」。迷える人間の代表としての幼子を、釈迦・イエス・孔子・老子が囲む意匠か。東京中野哲学堂公園の一角を占めるワグナーナンドール(以下W)の作品を想起した。何人かの宗教の創始者哲学者等が池に向かって並ぶ立体作品群。このWの作品、益子のアトリエと生誕地ブダペスト王宮近くの丘にもあり、それぞれを訪れているので余計にだろう、Wの類似性に惹かれた。Wは半世紀も後の人だが、大観の絵でWの東洋(日本)に傾倒していった気持ちが逆に鮮明になった感がある。 最後に生々流転。地球上の水の循環、四季の移ろい、一日の時の移ろいを、見事にミックスして表現している・・・と解説に。同感。あと加えるとすれば、人の一生か。輪廻転生の世界をも見たかった。しかしこうした大作にするより、連作にした方が、後々の人も見やすいというものだろうにとも思う。最後の4メートルの大海原表現の故なのかも知れないが、常に、また今回のよう長蛇の列で鑑賞しなければならないのは、不幸かと。 写真は二枚目以降展覧会ページより。


ノートを削除しますか?

一度削除すると元に戻すことはできません。