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『写真はモノクロームだと思った』たのしむ、まなぶ イントゥ・ザ・ピクチャーズ (2018年5月12日~8月5日)

東京都写真美術館は、都民の私にとっては、誇らしい美術館だ。写真美術館の草分けであるからだ。他の追随を許さないと言ってもよいと思っている。というか、本来国立でやるべきなのかも知れないだろうものを、東京都が担っていると言ってもよいのではとさえ思っている。その東京都写真美術館が、収蔵作品を紹介する展覧会をやっている。今年のテーマは「たのしむ、まなぶ」。 この展覧会、たぶんギャラリートークなどに参加した方がより良いと思える展覧会。浅学な私にとっては、個人の努力よりは、補助がいた方が分かりやすい感じがする。そういう時間でなくとも、バックアップするためか、「異常」と言ってはいけないかも知れないけれど、多くの学芸員が配置されていた。いや、自分たちで企画構成したためだろうか、配置されている(椅子などに座っている)方だけでなく、外に場内を歩いていたり、写真を撮っている方さえいた。声もかけて頂いた。 実際に、高度成長期前期の日本の都市過程の標準的とも思える台所の写真を、高校生とおぼしき数人に解説している学芸員がいた。解説というのは正しくないかも知れない。「貴方がここに今いたら何をしたいですか?」というような質問も投げかけている。写真芸術の裾野を広げようとしている工夫が見られた。 そうした中で、ひときわ目を引いたのは、ユージン・スミスの作品と、沢田教一の写真。沢田の写真は、ピューリッツァー賞受賞のきっかけにもなった「安全への逃避」。沢田の作品の大きさでも位置でも特別に扱われている訳でもないのに、訴求力が違った。 訴求力で言うと、モノクロームの力強さ。色がないだけで、時代を説明しているという点もあるが、それ以上に引きづり込まれるものがある。木村伊兵衛 作「浅草・花屋敷」。花屋敷前の掘っ立て小屋の居酒屋。背景には花屋敷の飛行機が回る。かつては背広を着た紳士も土方も同じモノをつついていた。花屋敷も「無料」と看板にある。時代が判ると言うことは、現在が判ると言うことにも通じる。レンズを通して見えているもの、見えないけれど五感の何れかで伝わってくるもの・・・それを鑑賞する展覧会だった気がする。 最後に表紙のピカソの手。同じようなパンが特別に喫茶で売られていたのはご愛敬。 3枚目の写真はwikiから。4枚目は木村伊兵衛作「大阪・中之島公園」、展覧会ページから。


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